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最高裁判所第三小法廷 昭和28年(あ)5025号 判決

主文

本件上告を棄却する。

理由

被告人弁護人堤牧太、同松尾菊太郎の上告趣意第一点について。

(一)  便宜上先ず次の説示をしておく。原判決認定事実第二によれば、被告人は判示二九日午後一一時頃判示飲食店「タロー」附近で田中正直兄弟より立ち向って来られ判示小柳は傷けられ被告人は逃げたが、又「タロー」前に引返したところ被告人は再び田中より斬りかかって来られたというのであるから、これによれば、被告人が数時間内に更に田中らと対面するにおいては更に攻撃を受ける蓋然性が多い状況にあったものというべく、しかも右事実認定によれば、被告人は田中らに対面して謝罪させ相手が攻撃して来たらこれに立ち向うため即ち単なる受働的防衛のためでなく敏速有力にこれに反撃を加えるため日本刀一振を抜身のまま携え矢野と共に進んで翌三〇日午前二時頃「タロー」附近に赴きその近くの道路上で叢に身をひそめ傍に日本刀を置いて様子を窺ううち田中正直が出て来て被告人らを認めるや「坂本」というなり矢庭に出刄庖丁をもって被告人に突きかかって来たという事実関係が示されているから、結局、被告人が右の叢に身をひそめ様子を窺ううち田中が出て来て矢庭に出刄庖丁をもって被告人に突きかかって来た際においては、被告人はこの田中の不正の侵害については早くから、充分の予期を持ち且つこれに応じて立ち向い敏速有力な反撃の傷害を加え得べき充分の用意を整えて進んで田中と対面すべく右叢附近に赴き彼の様子を窺っていた訳であるから、田中のこの不正の侵害は被告人にとっては急迫のものというべからざるものであり、又被告人が田中に加えた判示傷害行為は権利防衛のため止むを得ざるに出でたものというべからざるものである。

であるから、被告人の判示第二の所為は正当防衛とならないのは勿論、所論の過剰防衛(防衛の程度を超えた行為)を構成することもなく、誤想防衛(急迫不正の侵害がないのに拘らずかような侵害があると誤想してなされた防衛行為)にも当らず刑法二〇五条一項に当るものである。

原判決が右正当防衛等の主張を排斥して原判示第二の所為を傷害致死に当るとした趣旨も畢竟以上説示したところと同趣旨に帰すると解するのを相当とする。

(二)  さて、所論原判決理由のくいちがいの点について検討するに、原判決が事実認定を判示した上「被告人の右所為をその犯行時における経過のみに着目して観察すれば正当防衛乃至過剰防衛又は誤想防衛の何れかに該当するものと認める余地があるけれども、被告人が一旦帰宅した後単なる謝罪要求のみでなく場合により相手方から攻撃を受けることがあるかも知れないことを予期してこれに応ずる目的を以て抜身の日本刀を携え犯行現場に赴きその結果判示の様な闘争が行われ本件の傷害致死を惹起するに至った事情を全体的に考察すれば、被告人の右所為を以て所論のような正当防衛乃至過剰防衛又は誤想防衛に該当するものと目することはできない」といっている中、「被告人の右所為をその犯行時における経過のみに着目して観察すれば」といった趣旨は、原判示の、田中正直が、最後に、出て来て被告人等を認めるや矢庭に出刄庖丁を以て被告人に突きかかって来たので被告人はステッキを振って田中の頭部を殴り、ステッキが折れたが田中が続いて突きかかって来たので直ちに叢の中から日本刀を取り反撃し、なお相手の攻撃に応じ日本刀を以て数回斬りかかったという事実だけを切り離して観察すると仮定すれば、という意味であり、原判決はそれに続いて、かく仮定すれば正当防衛乃至過剰防衛又は誤想防衛の何れかに該当するものと認める余地があるけれども、そんなに切離して観察すべきでなく、事ここに至ったところの、被告人が一旦帰宅した後日本刀を持ち出した事情、その目的、その他の事実をも含めて原判示事実全体を観察すべきであり、そして、かく全体的考察をすれば原判示所為は正当防衛乃至過剰防衛又は誤想防衛に当ると見ることはできないとの意味を判示していること原判決の全趣旨より明らかである。だから原判決理由には所論のように一方においては正当防衛等に該当するものと認め得るとし、他方においてはこれらの何れにも該当しないとしたくいちがいはない。所論は原判決理由を正解せざるに出でたものであって採用するに足りない。

(三)  所論は又判例違反をいうが、所論引用の大審院大正一四年(れ)三六一号同年六月二七日第三刑事部判決は「被告人は必定被害者が押寄せ来るべきを憂慮し護身用として匕首一本を買求め万一に備えていた処、果然被害者が被告人方に来て外出を強要して止まないので被告人は右匕首を懐中して防衛の準備をなし共に外出したが被害者は被告人に飲酒しようと強要したので被告人はこれを峻拒して帰路に就いたところ、被害者はこれに追随して隠し持った出刄庖丁を揮て背後より突如その左側背下部を突刺し被告人が驚いて振向くや再度同人の下頚部に切付けた上、尚も切付けんとし攻撃頗る急であったため被告人は自己の生命身体の防衛上已むを得ず殺意を決し準備した匕首を抜き放って被害者の左胸部その他に切付け、同人を即死せしめたものである」という趣旨の認定事実に対して、被告人の所為は正当防衛に当ると判断したものである。ところで、この事案は、被告人は防衛の準備として匕首を懐中してはいたが被害者の飲酒の強要を被告人が峻拒して帰路についた時以後においては、被告人は最早被害者が襲撃して来るであろうことの予想を持っていたとは認められないのに、意外にも被害者が背後から突如突刺したという場合と解すべきであるから、被害者の侵害は被告人にとって急迫なものであったといい得る案件である。しかるに本件の場合は最後に田中が「タロー」方の向い側から出て来て被告人を認めるまで被告人は前示のような状況と意思の下に日本刀を傍らの叢に置いて様子をうかがっていたのであるから、右大審院判決の事案は本件と事案を異にするのであって、右判例は本件に適切でない。従って原判決には判例違反はなく論旨は採用できない。

(四)  なお、原判示の叢で日本刀を傍に置いて様子を見ていた被告人を田中が認めて出刄庖丁で切りかかって来てからの判示事実だけに着目して田中の侵害が急迫であったとする論旨は、不可分に考察せらるべき原判示のその以前の事実を無視し最後の事実だけを捉えて正当防衛に当ると主張するものであって、原判決を正解せずしてこれを非難するものであるのみならず、この点についてはすでに(一)、(二)において説示した通りであるから論旨は採用し難い。又、原判示の田中より最後に切りかかって来られた場合の事情に関し、被告人としては逃げる余裕もなく若し逃げたら直ちに追い付かれて殺されることは明らかであったとの論旨はこの点に関する事実誤認の主張に外ならず上告適法の理由とならない。

同第二点について。

所論は単なる量刑不当の主張であって上告適法の理由とならない。

以上の理由であるから所論はすべて刑訴法四〇五条の上告理由に当らない。又記録を調べても同法四一一条を適用すべきものとは認められない。

よって同法四〇八条により裁判官全員一致の意見で主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 垂水克己 裁判官 島 保 裁判官 河村又介 裁判官 小林俊三 裁判官 本村善太郎)

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